USED CLOTHING SPIKY ― スパイキー

CARHARTT


 カーハートの歴史。それは19世紀後半から現在までのアメリカの発展を支えてきた労働者達と密接な関係にある。彼らが求めていたもの、それは頑強なワークウェアだった。
カーハートはその製品を通じて常に彼らの理解者である事を公言し続けてきた、アメリカを代表するワークウェアブランドである。

ハミルトン・カーハート 1861年創業者、ハミルトン・カーハートは医師の父ジョージと母、レファ・ジェーンの子としてNYのウェスト・ウォルワースに生まれる。ハミルトン・カーハート。彼が最初のビジネスである衣料の卸業をスタートさせたのは1882年。彼が21才の時で2年後の1884年には家具や手袋の卸業会社、ハミルトン・カーハート&カンパニーをミシガン州デトロイトに設立。やがて1889年には、わずか4台のミシンと5人の従業員でワークウェアの生産を開始している。 そして最初のプロダクツとして丈夫なダック地とデニムで作られたオーバーオールを発表。それが現在に続くカーハート誕生の瞬間だった。

HAMILTON CARHARTT & COMPANY DETROIT. MICH. U.S.A. 当時のデトロイトはワークウェアビジネスのビックチャンスが期待できる都市だったに違いない。林業を主体としていたミシガン州は19世紀末までに木を伐採しつくしてしまうと、今度は馬車の生産で全米1位になった。それだけの技術者を集めていた事がその後、自動車生産や鉄道車両の製造を経て20世紀に始まる自動車産業へスムーズに転換できる下地固めをする。

  そして全米一の自動車工業都市、デトロイトが誕生し労働者の数は増え続け、ワークウェアの重要も高くなり労働者たちが求めていた丈夫なワークウェアを供給する事はカーハートの使命であった。そして、デトロイトの地盤に支えられてカーハートは着実に成長を遂げていき、1910年には8つの縫製工場と2つの紡績工業を抱えるまでに事業を拡大し、社名もハミルトン・カーハート・コットンミルズへと変更された。

 カーハートに限らず当時の商品パンフレットや通販カタログには共通して「ユニオン・メイド」の文字があった。ユニオンとは労働組合の事でアメリカの自動車産業では、この組合との関係を抜きにしては考えられない。全米自動車工組合は1935年にできている。自動車産業に限らずどこの組合でもそうであったが、組合を否定するような企業が作る製品は買わないようにと組合員に指令を出した。

ラベル 労働者は同じ労働者が作った製品だけを買うように指導したのでどのカタログを見ても「ユニオン・メイド」の言葉がある。しかも組合は1枚1セントでそのラベルをメーカーに売り製品に縫いつける事まで求めた。カーハートはこれを受け入れ積極的に支持した。どのメーカーも社内の組合結成を認めたがらない中でカーハートはその結成を容認。非組合員の賃金の安さや業界内の批判にも屈せず、あくまで労働者の側に立つ企業だと宣言をしていた。

  現在ストリートなどで絶大な人気を誇るカーハートの成功の要因は常に労働者の立場を忘れないカーハートの信念を現代に受け継いでいるからかもしれない。

スパイキーTOP | ビンテージ | レギュラー | ギャラリー | 店舗紹介 | カーハート | 掲示板 | お問い合わせ | リンク
Copyright (C) 2005 USED CLOTHING SPIKY. All Rights Reserved.